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イマジナリーフレンド

昨日最終回を迎えたドラマ『高嶺の花』では「もう一人の自分」というのがキーワードとして何度も登場していました。

このドラマで言わんとするところの「もう一人の自分」とは何のことだろう?と思いながらこのドラマを見させていただいていました。


中盤の展開では、主人公の桃は「もう一人の自分」が見えていた頃は、創作(華道)する際、なんとも言えない”感覚”、エクスタシー、作品との一体感を感じることができていたという情報が示されます。

それは芸術家にとって必要不可欠なものだと感じている桃は、「もう一人の自分」を失ったのと同時に失ってしまった”感覚”を取り戻そうと必死になります。


スピリチュアルに興味がある方がこのドラマを見ていたなら、「もう一人の自分」って、

自分の魂のこと?
ハイヤーセルフのこと?
インナーチャイルドのこと?
自分の中の内なる神のこと?

と考えを巡らせられたのではないかと思います。


このドラマの終盤の展開では、「もう一人の自分」とは、子どもの頃には見えていて、大人になると見えなくなるもの(まれに大人になっても見え続ける場合もある)で、1度見えなくなったらもう2度と見えるようにはならないという定義がなされます。


ん? 1度見えなくなったら見えなくなる? 何のこと・・・?


私には正直何のことだか分かりませんでした。

気になって調べてみたところ、どうやらこのドラマでは、心理学で言われているところの「イマジナリーフレンド」のことを「もう一人の自分」と言っているような様子。


イマジナリーフレンドとは、

「空想の友人」という意味。

小さな子どもが、空想で作り上げた友だちと会話したり、おままごとをして遊んだりする現象において、その相手のことをイマジナリーフレンドと呼ぶそうです。

成長の過程で、現実のあれこれに重きをおくようになるとイマジナリーフレンドが自然と見えなくなることが多いのだそう。

心理学ではこのイマジナリーフレンドに対して必ずしも否定的ではなく、子どもの成長に必要な場合もあるので優しく見守ってあげましょう、という感じのようです。

ただ・・・、妖精さんとお話しすることや、霊体と話すことも広い意味でのイマジナリーフレンドに含まれているようなんです。

それを”子どもの想像”と決めつけて言ってしまうのはちょっとどうなんだろうなと思います。

とは言え、子どもが実際に霊的感覚が開いていて妖精さんや霊体と話しているのか、想像なのか、判別するのは難しいですよね。

いずれにせよ、子どもに危害が及んでいるようでなければ否定せずに見守ってあげるのが良さそうです。



ドラマの話に戻ると、最終的に桃は”自分流”を確立し、華道家として新たな道を歩み始めます。

これはあくまでも私見ですが、

「もう一人の自分(イマジナリーフレンド?)」が見えていて、純粋な子どものような気持ちで華道をしていた時に戻ることはできない。

今の成長した自分の感覚を受け入れて昇華することで、”自分流”を見つけることができる、というのが、このドラマで描かれていたことの1つなのではないかと思います。


私たちも潜在意識調和プログラムで「もう一人の自分」という言葉を使用しますが、私たちが使っている「もう一人の自分」とこのドラマで使われてた「もう一人の自分」は意味が異なります。

が、ドラマで最終的に主人公が”自分流”を見つけはつらつとした笑顔になっていたのは、私たちが言うところの「もう一人の自分」とつながった状態と言えるかもしれません。



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