助け合い
けい: キャサリン様に聞きたいことがあります。
親しい人が困っている時は助けてあげたいと思いますが、それをすることで自分が苦しくなる時があります。
誰かに何かを頼まれたとき、どんな基準で引き受けたり断ったりしたらよいのでしょう?
キャサリン様: これをやって、後で自分がどう感じるか。それが基準だと思います。想像してみて下さい。
けい: そうですね。引き受けたその時はその人も喜んでくれるのでこちらもよかったと思うのですが、実際に頼まれたことをやっている最中は後悔してます。
キャサリン様: では、けいさんは想像力が足りませんね。
私はむやみに約束事も頼まれごとも引き受けません。
まぁ、頼まれることも約束事をすることもありませんけどね、おほほ。
けい: ですよね。そこ突っ込まなきゃと思ったら自分で言いましたね(笑)
て、そこじゃなくて、むやみに引き受けないということですが、それはなぜですか?
キャサリン様: まず、したいかしたくないかを自分のハートに尋ねます。
それから、興味があるかないかの答えが出るまで待ちます。
そこでもし興味がないという答えが出れば、私だったら引き受けません。
けい: はい。
でも、家族、チーム、組織での頼まれごとだったら、やりたくなくても『助け合い』が必要な時があるのではないかと思います。
キャサリン様: それはあなたの常識内での話です。
けい: そうですか?みんなそうしてるのに自分だけ協力しないのは、自分勝手なのかと。
キャサリン様: ではあなたは助け合いに興味があるのですか?
けい: 助け合いに興味がある?・・・助け合うのは・・・うーん。何でしょうね、言葉にならないのですが・・・助け合うのが人ってもんじゃぁないんですか?
キャサリン様: 苦しくても助け合わなきゃいけないというのは義務ではないですか?
けい: そうですね。
キャサリン様: 私は助け合いとは喜びや興味、慈しむ心から出てくるものだと思っています。それを義務にしてしまえば当たり前のようになってしまいます。
けい: それも分かりますが、やりたくないことはやらない!という態度でいたら、自分が困ったときに誰も助けてくれなくなるんじゃないかとも思います。
キャサリン様: 私は『やりたくないことはやらなくていい』というポリシーをもっていますが、『やりたくないことはやらない』と決めているわけではありません。
興味があるかどうか、慈悲をかけるべきかどうか、客観的に考えています。
助けてもらったときには「ありがとう」と言いますね。なぜ感謝するのですか?それが奇跡とも呼べることだからではないですか?
けい: はい。
キャサリン様: なぜそれを『当たり前』にしようとするのですか?
けい: 助けたから助けてもらって当然だという私の考え方のことですよね?
キャサリン様: それは私からみたら『傲り(おごり)』です。
けい: 傲りですか?
キャサリン様: はい。そこには何も慈悲がありません。
からっぽです。
けい: なるほど。等価交換とは違うのですか?
キャサリン様: この場合は等価交換とは違います。
等価交換とはどちらも形や物として利になることを交換することを指します。
けい: なるほど。自己犠牲的な助け合いは慈悲もなく、利にならないということですね。
キャサリン様: はい、その通りでございます。
まずやりたいかどうか、興味があるかどうかを想像する。それから、頼んで来た人の人間性を見極めてから引き受けるかどうかを決めます。
けい: 困っている相手に対して断るときに申し訳ないと思ってしまうはどうしたらよいですか?
キャサリン様: どうして申し訳ないと思いますか?
けい: 困っていて助けが必要だから言ってきているわけで、その人は私が断ったら困りますよね?
キャサリン様: あなた一人に対して助けを求めている場合はそう思っても仕方ないと思います。ですが、多数に求めている場合は何かあなたの意思とは異なった感情が関わっています。
けい: と言いますと?
キャサリン様: 例えば、『頼られたい』という感情です。
はい、これは潜在意識統合プログラムにも関わってくる問題ですよ。
けい: つまり、私が、『頼られたい』と潜在意識で思っているので、頼られる出来事を引き寄せたり、別に私が断っても他の人がやって済むような話に対して断って申し訳ないと思ってみたりするってことですか?
キャサリン様: 8割正解です。
けい: あとの2割は?
キャサリン様: 教育です。
けい: 人の役に立ちなさいというような教育ですか?
キャサリン様: はい、その通りです。
それは素敵な教育ではあります。ただ、『慈しむ心でやりなさい』とは教育されている方とされていない方がいる気がします。
それが義務だと教えられた方もいるでしょう。
けい: では、『頼られたい』と『頼りたい』、『人の役に立たなければいけない』が潜在意識に埋め込まれているということですね。
キャサリン様: はい!120%正解です!それ以上ありません。
ということで、後は潜在意識統合プログラムを使って統合させました。
潜在意識統合プログラムの具体的なやり方はまだ公表できませんが、こうした潜在意識に埋め込まれていて、現実として引き寄せるブロックを統合させていくことができます。
ちなみに、『慈しむ心で人を助ける』ということについてのまことの見解は
根拠もなく純粋に助けたいと感じたら助ける。
頼まれても相手のためにならないと分かったときは断る。
とのことでした。
なるほど。
親しい人が困っている時は助けてあげたいと思いますが、それをすることで自分が苦しくなる時があります。
誰かに何かを頼まれたとき、どんな基準で引き受けたり断ったりしたらよいのでしょう?
キャサリン様: これをやって、後で自分がどう感じるか。それが基準だと思います。想像してみて下さい。
けい: そうですね。引き受けたその時はその人も喜んでくれるのでこちらもよかったと思うのですが、実際に頼まれたことをやっている最中は後悔してます。
キャサリン様: では、けいさんは想像力が足りませんね。
私はむやみに約束事も頼まれごとも引き受けません。
まぁ、頼まれることも約束事をすることもありませんけどね、おほほ。
けい: ですよね。そこ突っ込まなきゃと思ったら自分で言いましたね(笑)
て、そこじゃなくて、むやみに引き受けないということですが、それはなぜですか?
キャサリン様: まず、したいかしたくないかを自分のハートに尋ねます。
それから、興味があるかないかの答えが出るまで待ちます。
そこでもし興味がないという答えが出れば、私だったら引き受けません。
けい: はい。
でも、家族、チーム、組織での頼まれごとだったら、やりたくなくても『助け合い』が必要な時があるのではないかと思います。
キャサリン様: それはあなたの常識内での話です。
けい: そうですか?みんなそうしてるのに自分だけ協力しないのは、自分勝手なのかと。
キャサリン様: ではあなたは助け合いに興味があるのですか?
けい: 助け合いに興味がある?・・・助け合うのは・・・うーん。何でしょうね、言葉にならないのですが・・・助け合うのが人ってもんじゃぁないんですか?
キャサリン様: 苦しくても助け合わなきゃいけないというのは義務ではないですか?
けい: そうですね。
キャサリン様: 私は助け合いとは喜びや興味、慈しむ心から出てくるものだと思っています。それを義務にしてしまえば当たり前のようになってしまいます。
けい: それも分かりますが、やりたくないことはやらない!という態度でいたら、自分が困ったときに誰も助けてくれなくなるんじゃないかとも思います。
キャサリン様: 私は『やりたくないことはやらなくていい』というポリシーをもっていますが、『やりたくないことはやらない』と決めているわけではありません。
興味があるかどうか、慈悲をかけるべきかどうか、客観的に考えています。
助けてもらったときには「ありがとう」と言いますね。なぜ感謝するのですか?それが奇跡とも呼べることだからではないですか?
けい: はい。
キャサリン様: なぜそれを『当たり前』にしようとするのですか?
けい: 助けたから助けてもらって当然だという私の考え方のことですよね?
キャサリン様: それは私からみたら『傲り(おごり)』です。
けい: 傲りですか?
キャサリン様: はい。そこには何も慈悲がありません。
からっぽです。
けい: なるほど。等価交換とは違うのですか?
キャサリン様: この場合は等価交換とは違います。
等価交換とはどちらも形や物として利になることを交換することを指します。
けい: なるほど。自己犠牲的な助け合いは慈悲もなく、利にならないということですね。
キャサリン様: はい、その通りでございます。
まずやりたいかどうか、興味があるかどうかを想像する。それから、頼んで来た人の人間性を見極めてから引き受けるかどうかを決めます。
けい: 困っている相手に対して断るときに申し訳ないと思ってしまうはどうしたらよいですか?
キャサリン様: どうして申し訳ないと思いますか?
けい: 困っていて助けが必要だから言ってきているわけで、その人は私が断ったら困りますよね?
キャサリン様: あなた一人に対して助けを求めている場合はそう思っても仕方ないと思います。ですが、多数に求めている場合は何かあなたの意思とは異なった感情が関わっています。
けい: と言いますと?
キャサリン様: 例えば、『頼られたい』という感情です。
はい、これは潜在意識統合プログラムにも関わってくる問題ですよ。
けい: つまり、私が、『頼られたい』と潜在意識で思っているので、頼られる出来事を引き寄せたり、別に私が断っても他の人がやって済むような話に対して断って申し訳ないと思ってみたりするってことですか?
キャサリン様: 8割正解です。
けい: あとの2割は?
キャサリン様: 教育です。
けい: 人の役に立ちなさいというような教育ですか?
キャサリン様: はい、その通りです。
それは素敵な教育ではあります。ただ、『慈しむ心でやりなさい』とは教育されている方とされていない方がいる気がします。
それが義務だと教えられた方もいるでしょう。
けい: では、『頼られたい』と『頼りたい』、『人の役に立たなければいけない』が潜在意識に埋め込まれているということですね。
キャサリン様: はい!120%正解です!それ以上ありません。
ということで、後は潜在意識統合プログラムを使って統合させました。
潜在意識統合プログラムの具体的なやり方はまだ公表できませんが、こうした潜在意識に埋め込まれていて、現実として引き寄せるブロックを統合させていくことができます。
ちなみに、『慈しむ心で人を助ける』ということについてのまことの見解は
根拠もなく純粋に助けたいと感じたら助ける。
頼まれても相手のためにならないと分かったときは断る。
とのことでした。
なるほど。